イチロー選手引退で思うこと

SHINO TANAKA / HUFFPOST JAPAN
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2019年3月21日、イチロー選手が引退を表明しました。
イチロー選手なら、本当に50歳を越えても現役を続けるのではないかと思っていましたが、最後はスパッと決断するのも、イチロー選手らしいなと思いました。

イチロー選手がオリックス・ブルーウェーブで活躍し始めた1994年、僕は高校2年生で、硬式野球部に所属していました。当時、僕らの周りでもイチロー選手に憧れ、振り子打法を真似する人が続出しました。当然、形だけ真似てものに出来るはずもなく、皆、ほどなく元の打ち方に戻っていきましたが。

僕が高校2年のとき、母校の野球部は冬の時代で、3年生が6人、2年生が5人、1年生が0人でした。練習も11人で行わなければなりませんでしたから、実践的な練習はできず、夏の大会も1回勝っただけで終わりました。
3年生が引退してからは更にひどく、5人で練習をしなければならなかったため、近くの高校の練習に混ぜてもらい、たまに練習試合にも混ぜてもらったりもしていました。公式戦はそうはいかないので、他のクラブなどの生徒に助っ人をお願いして出ました。
3年生になると、1年生が10人以上入ってくれたので、何とか自前のチームで夏の大会を迎えられましたが、1回戦コールド負けに終わりました。

そんな高校時代の僕は、4歳しか年が違わないのに、僕には到底なし遂げられないような偉業を数々達成していくイチロー選手のことを、眩しくみていました。野球というスポーツは同じやのに、こうまで違うんか、なんて自分はちっぽけなんや、と思いました。
高校卒業後、僕は野球から離れ、アメフトの道に進んだわけですが、いつも僕の視界の先にはイチロー選手がいました。イチロー選手が大リーグに挑戦した2001年は、アメフトを引退して司法試験の勉強を始めた年でした。
不可能と思われていたようなことを次々実現していく姿を見て、同じように自分はちっぽけやと感じながらも、イチロー選手のようではなくても、自分にも何かできるんやないか、と勇気をもらっていました。

僕が大学に合格し、アメフトでも体が小さいながらも何とかレギュラーとなり、司法試験にも合格できたのは、イチロー選手がいたからと言っても過言ではありません。
きっと、イチロー選手は、僕のように勝手にイチロー選手から勇気をもらい、人生を歩んでいる人間を、日本だけではなくアメリカやその他の国にもたくさん作っていることと思います。
イチロー選手が第一線で活躍する姿を見続けていたかったという思いもあり、引退されることに寂しい気持ちもありますが、今はただ、お疲れ様でした、本当にありがとうございましたと言いたいと思います。

イチロー選手のこれからの益々のご活躍を祈念しております。