DB's PRIDE②

DB's PRIDE

僕が大学に入学した1997年は、京都大学アメリカンフットボール部、通称「ギャングスターズ」(以下「ギャング」といいます。)が6度目の大学日本一となった翌年のことでした。

入学から遡ること4か月ほど前。大学浪人中の僕は、実家のテレビの前にいました。テレビではギャングと法政大学トマホークス(現在は「オレンジ」)の対戦となった甲子園ボウルが流れていました。
もともと、父親がアメフト好きで、僕も記憶のないくらい小さい頃、関西学院大学ファイターズと日本大学フェニックスの甲子園ボウルを観に連れていかれたことがあったようです。

このギャングの甲子園ボウルの試合を観るまでは、僕はアメフトのルールを全く知りませんでした。

この試合は最終的にギャングがタッチダウン1本差(7点)で競り勝ったのですが、福田さん、水口さんなどのWR(ワイドレシーバー)へのロングパスとエースRB(ランニングバック)池場さんのスピード感溢れるランニングプレーを組み合わせた多彩な攻撃を展開する法政大学と、モビリティに富み主将でもあった杉本さんとパスが得意でK(キッカー)とP(パンター)でもあった田中重光さんのQB(クオーターバック)併用で「ギャングボーン」と呼ばれた特殊な体系からのオプションプレー(ディフェンスの対応により誰がボールを持つかプレー開始後に選択するプレー)を操るギャングの一進一退の攻防が繰り広げられた好試合でした。

試合展開そのものが面白かった、ということもあったでしょうし、元大関の小錦関のゲスト解説が面白かったこともあったでしょうが、僕をギャングに導いたのは、ある一つのプレーでした。

試合の終盤、法政大学がゴール前2ヤードまで迫り、ここでタッチダウンを取れば同点という場面、法政大学は4thダウンギャンブル(通常攻撃側は4回の攻撃権のうち3回まで攻撃して10ヤード進めなければ、4回目はキックを蹴り攻撃権を放棄します。4回目まで攻撃することを「4thダウンギャンブル」と呼びます)をしました。
この4thダウンギャンブルのプレー、法政大学はエースRB池場さんにボールを託します。2ヤード(約180cm)進めば得点という場面で、京大のLB(ラインバッカー)根来さんが、走ってきたRB池場さんを強烈なタックルで止めました(根来さんはこのプレーで膝の靱帯が断裂しました)。京大は守り抜き、無得点に抑えたのです。
このプレーに、僕は魂を揺さぶられました。「こんな格好ええスポーツあんのか!」と衝撃を受けました。体と体をぶつけ合う男のスポーツ。格闘技的要素だけではなく、頭脳が勝ち負けを左右する。だから京大でも日本一になれる。しかも部員のほとんどはアメフト未経験者。「俺にもできるかもしれん!」と思いました。
そして、実はこのプレー、このときに私は当然気付いていませんが、「DB's PRIDE」が着実に実践されたプレーだったのです。

それまでは、京大野球部には高校の先輩もおられたので、大学に入ってからも野球を続けようかとも思っていました。しかし、高校3年の夏の大会で1回戦コールド負けするなど、「勝利」の味を知らなかった僕は、日本一になれる可能性がある、しかも甲子園でプレーできる可能性があるギャングに挑戦してみたくなったのでした。このときはまだ、大学4年間、ついぞ日本一となれず、甲子園の土を踏むことすらできないとは知るよしもなく・・・。

そんなわけで大学入学後、ギャングの門を叩くと決めた僕。次回、大学入学後に続く。