いじめのある世界に生きる君たちへ - 読書日記

今日は、真面目なお話しです。

プロフィールにも記載しているとおり、私は昨年度から大津市で「大津のこどもをいじめから守る委員会」の委員を務めさせていただいており、今年度は副委員長をさせていただいています。
そんなこともあり、先月、京都のとある私立中学校・高校でいじめについて講演する機会をいただきました。

その際に紹介したのが

いじめのある世界に生きる君たちへ

この本です。
この本は、小学校高学年の子どもであれば理解できるような平易な言葉で書かれた
子ども向けの本です。
もともとは

いじめの政治学

これは短編の論文集ですが、この中の表題作を子ども向けに書き直したものです。

いじめに関しては、厚生労働省が
「いじめの防止等のための基本的な方針」というものを策定しており、その中で、いじめの防止のために、自治体や学校などに対して、採るべき措置や対応方法などのガイドラインを示しています。

しかし、それに従ったからといって、いじめを防げるわけがないことは、皆、とりわけ教育現場にいる方は分かっておられると思います。

制度を整えたからといって、いじめはなくなりません。
私は、いじめが、他人を自分より低く見ることで自己肯定感を得ようとする心理的働きがあれば生じ得るもので、それは、世の中の大多数の者が有する感情ではないかと思うからです。

現状、特に私が気になっているのは、教育現場が、「いじめかそうでないか」に敏感になっているように思われることです。ある事柄が、いじめに該たるのかどうかを、とても気にされます。しかし、それは大事なことなのでしょうか。
その事柄が仮にいじめに該たらないとしても、当該行為を受けた子ども、また、当該行為を行った方の子どもも、非常に傷ついていることはたくさんあるでしょう。

重要なのは、子どもの声をきちんと聞いてあげることのはずです。いじめかそうでないかを気にしていると、いじめに該たらないと考えれば、子どもの声を聞かないように傾いていってしまうように思います。

先にご紹介した本で、著者の中井久夫先生は、いじめの構造を
「孤立化」「無力化」「透明化」の3段階に分析され、最期の「透明化」の段階に至り、いじめを受けた子どもが死を選択する心理分析もしておられます。そして、「孤立化」の段階では、まだ、子どもは周囲の大人に助けを求めているが、その声が大人に届く確率が非常に低いとも述べておられます。

被害を受けたという子どもだけではなく、加害に及んだとされる子どもも、何らかの困難を抱えている可能性は極めて高いと思われます。いじめに該たるかどうかではなく、子どもに向き合い、子どもの声をきちんと聞いてあげることが、子どもに関わる大人に求められていることだと思います。

この本は、子どもたちには是非読んで欲しいですし、教育現場などで子どもに関わっておられる方にも、是非お勧めしたいものです。