人の好みほど当てにならないものはない

今日は、今、好きだと思っているものがこの先もずっと好きだとは限らないですよ、ということについて書きたいと思います。
私も離婚事件を多くご依頼いただきますが、そのことにも関連します。

今、ものすごく好きだ、と思っていることがあるとします。でもそれは、一年後なのか五年後なのか十年後なのかその先なのか分かりませんが、全然好きではなくなっているという可能性があります。

ものすごくどうでもいい卑近な例を挙げれば、私は弁護士になった10年前にはお酒はビール一辺倒で、飲み会に行ってもビールばかり飲んで他のお酒などいらない、ビールさえあればいいんだとさえ思っていました。
しかし今は、ビールは乾杯の時に皆が注文するのに合わせて頼むくらいで、美味しいワインが置いてあるお店ではワインを飲みますし、それ以外はハイボールばかり好んで飲んでいます。
ちなみにこれもどうでもいい話ですが、ハイボールは、私が司法修習生だった11年前には現在のように市民権を得ていませんでした。私が司法修習生だった時、弁護修習の指導担当の東京の弁護士がよく飲みに連れて行ってくださったのですが、その時に、あるお店のメニューにハイボールがありました。「西村くんはハイボールって知ってるか?昔流行った、ウイスキーを炭酸で割ったやつだよ。」と言われたのですが、全然知りませんでした。そのお店ではワインを飲んだのですが、ハイボールを飲むようになり、この時の指導担当弁護士との遣り取りがフラッシュバックしたのでした。その時の私は、11年後に自分がハイボール好きになっているなどとは想像だにしていませんでした。




何が言いたいか。

私は大学時代アメフト部で、当時の水野彌一監督からアメフトを教えてもらったということよりも人間教育をしていただいたと思っています。ですので、折々に思い出す水野元監督の言葉がいくつもあり、それは私の人生の道標になっています。「自分ほど分からんもんはない」もその一つです。
皆さんは自分のことをどれだけ分かっていますか?今ものすごく好きだと思っているものが、明日全然好きではなくなっていることだってあるんです。自分ほど当てにならないものはないんです。

だから、大切なのは、それを受け入れて行動することだと思います。今の自分の考えや思いは本当なのか、衝動的な刹那的なものではないのか、自分に問い続けた上で行動しなければならないのだと思います。
だからといって、「正解」はその時に導き出せるとは限りません。でも、本当の自分の思いを問うた上で自分が出した結論なのであれば、結果として間違っていたとしても、受け入れ方が違うと思います。



「自分ほど分からんもんはない」
何かを判断しようとする時に思い浮かべてもらいたい言葉です。

先日鉄道博物館にて

先日、鉄道博物館にて、ハイボールを飲みながら新幹線が走るのを眺めていた私。その時の「正解」は、新幹線を眺めながらハイボールを飲むこと。