光と影

私は、「光と影」というとき、17世紀のオランダの画家レンブラント・ファン・レインが頭に浮かびます。

「テュルプ博士の解剖学講義」

この絵は、レンブラントの代表作「テュルプ博士の解剖学講義」です。レンブラントは、「光の魔術師」とも呼ばれ、光と影の描写が印象的な画家です。

などと高尚ぶったことを書きましたが、芸術談義がしたいわけではありません。
人間にはみんな、「光と影」があるのではないか、ということが今日のテーマです。

例えばものすごく有名なところでは、アメリカ大リーグMLBのイチロー選手だって、「光と影」があると思います。
今さら言うまでもないかもしれませんが、もともとイチローは、小学校時代から毎日のようにバッティングセンターに通って練習していたという練習の虫です。私も少年野球をやっていたので分かりますが、毎日バットを振り続けるというのは、並大抵のことではありません。
そんなイチローですが、何度も逆境をくぐり抜けてきています。高校時代は、甲子園に出場したものの、目立った活躍はしておらず、プロ入り後も、最初は首脳陣に評価されませんでした。屈辱的な気持ちを味わってきたのではないかと思います。
MLBに行ってからも、マリナーズで数々の記録を打ち立てていったものの、ワールドシリーズ制覇からは遠く、ヤンキースに移って以降は、レギュラーの位置を失い、4番目、5番目の外野手とい扱いです。現在は、前チームから放出され、行き先が定まっていない状態です。
私は、イチローなら、この逆境もくぐり抜け、彼が公言している「50歳までプレー」を必ずや成し遂げてくれると信じています。

「隣の芝生は青く見える」とはよく言ったもので、人は、光り輝いている人を見るとその光輝いている部分ばかり見て羨ましいと思います。しかし、人間、そんなに光輝いてばかりいられるわけはないのではないでしょうか。誰にだって、光の面もあれば、影の面もあると思います。イチローは光が当たっているところだけではなく、影の場面でも努力を続けているのです。

華やかに見える人だって、光が当たっていないところでは、辛い思いをしたり、屈辱感を味わっていることだってある。
そう思って、人を羨ましがったりせず、自分の光の面に目を向けていきたいですね。